村境・国境の決め手となった検地帳の効力歴史一滴 1-6窪田村と常陸国3か村の山論の際に、窪田村が提出したのが、貞享5年(1688)の内藤能登守の時代に行われた見地の結果表となる検地帳(水帳、名寄帳、御図帳などともいう)であった。その際に3か村に隣接する中野村との間 ...