勿来市のネズミ駆除運動

勿来市では、合併した昭和30年(1955)から毎年春季に市独自でネズミ捕りコンクールを開催した。
昭和32年(1957)からは農業改良指導所の指導により、勿来市の農家2,615戸も野菜類を荒らす野ネズミの駆除を始めた。

昭和35年(1960)1月から1か月間、福島県浜通り市町村が参加して初めて行われた、「ネズミのいない生活コンクール」では、勿来市が参加。
ネズミの害や殺鼠剤の使用方法など広報を通じたネズミ駆除の方法について運動を展開し、さらには映画会、座談会なども開催した結果、参加は8,077戸、全体の81.5%に達した。
前年の参加率49.5%から大幅に参加戸数が増えて、合計3,645匹を駆除したと報告され、勿来市はコンクールにおいて最優秀賞の栄誉に輝いた。

翌年も勿来市は市町村の部で最優秀賞に輝いた。
参加率は87.9%、ネズミ駆除数は2,327匹で、この年から設けられた組織の部では大日本炭礦勿来礦の四沢炭住が金賞に輝いた。
また、銀賞には常磐共同火力勿来発電所住宅が選ばれた。

昭和37年(1962)度から開始された「福島県下一斉ネズミ駆除運動」も、同様の形態で展開された。
この頃になると地区の縦割り組織だけでなく、目標を地区のなかで明確化するために、地区の保健委員会を運動主体として、地区ごとに横断組織となる「ネズミ駆除対策協議会」を結成して、地区のなかの小中学校組織、婦人会、青年会などを取り込み、コンクールを行うなどの方式により市民総ぐるみ運動につなげた。
このコンクールでは、勿来市保健委員会が第1回、2回ともに組織の部で最優秀賞に輝いた。

これら市民総ぐるみ運動による衛生思想の改善と高度経済成長下における家庭内収入の増加に伴う生活水準の向上が功を奏して、昭和30年代半ばから伝染病発生人数は目にみえて減少していった。

nezumi_tori
http://www.irasutoya.com/ より