第3巻はじめに-第3巻の起点を戦争終結に求める背景

本書である第3巻の起点を第二次世界大戦(太平洋戦争)終結とした。
つまり便宜的に“戦前”=第2巻、“戦後”=第3巻というふうに区分したわけだ。
かつては、このような区別がごく一般的であったが、昭和が終わり、平成の世が到来してからは、この区分も歴史の嵩に埋もれようとしている。

あるいは若い人にとっては、昭和時代は“激動の時代”として一括りにしかみえないかもしれない。
しかし、本書が世に出る時点においては、“戦後”を知る世代が健在であることからして、やはり、“戦前”“戦後”の括りは、意味を持つと解してほしい、といわざるを得ない。

この区別の最大理由としては、体制が大きく変化したことにある、と若い人に向かって説明しようと試るが、体制の変化が日本人の生活観、あるいは日本経済に変化をもたらしたかというと、断言はできない。
この変化は日本人自らが求めたものではなく、比喩的に言うと、アメリカから用意された器に半ば窮屈な思いを抱きながら入ったもので、この基点の前後でみると、むしろ日本人の本質は変わっていない、とみる方が妥当かもしれない。

このことは、第1巻と第2巻の区切りを江戸時代と明治時代の間に求めたのとは、大きな差異である。
この間の状況をみると、日本内外に大きな変革を求める力が働いた時代であり、政治的にも経済的(生活観としては、都市生活者以外大きな変化はなかったが…)にも大きな転換期となった。
このことと比較するとき、第2巻と第3巻の間に横たわる、政治的変化と経済的変化の落差に思い遣ることができる。

つまり、あの時代を経験した方々にとって、生活観に変化をもたらした契機となったのは戦争終結ではなく、日本の急速な経済成長であると。
そのことはあの時代を通り過ぎた人ならば、一致した感慨であろう。
政治体制の変化は日本人の内面を変えるには至らず、むしろ日本人を変えたのは生活の向上、経済の発展であり、生活の根底にまで深く浸透していった。
それは高度経済成長期とぴったり重なる。
多くの日本人は「便利」という概念を初めて手に入れ有頂天になり、近世から積み上げてきた生活スタイルを一挙に葬り去った。

その後、技術革新は絶えず、かつあらゆる便利さを追求し、その変化の度合いは高度経済成長期に勝るものがあるが、その前後の落差を考えるとき、その後の時代変化とは大きく異なる側面をみせることになった。
その前の時代には「便利」という概念がないだけに、一層その変化は際立つ。

本書は、その過程を炙り出すことに努めた。
それは「勿来」にとっても大きな転換期に当たることで、本書においても鉱業都市から工業都市へ劇的に変化する過程を綴ることになった。
言い換えれば、その軌跡を描くために、変化の序章となる“戦争終結”およびその後、を起点とした、ともいえる。

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http://www.irasutoya.com/ より