松川磯の鮫(関田村、錦村)

いわき勿来の伝説 7

松川に住む伝説のサメの背には磯の岩のように海の藻が青黒く生えていて、土地の漁師などには、「松川さま」と敬われていたという。
時折、波打ち際に寄ってくると、人々は海の神様のお使いが来たとして、お酒やご馳走でサメを歓待した。

江戸時代初め、相馬侯の大名行列が国許へ帰る途中、松川の海岸にさしかかった。
ここでは浜街道が海際を通ることになっており、愛馬にまたがった殿様は、そこで沖の波間にゆうゆうと泳ぐサメに目を止めた。

殿様は家来を前に、自慢の弓使いを試すため、泳いでいるサメをめがけて弓を放つと、矢はサメに命中し、その姿は海のなかに沈んで見えなくなった。
殿様は、手応えを感じ得意満面で(「首を傾げながら」という説もある)旅を続けた。

やがて鮫川にさしかかったところ、前日までの降雨で水かさが増していた。
とても渡れる状態でなかったが、殿様は先頭にたって鮫川に馬を乗り入れた。

すると、川下の方から白波を起こして異様なものが迫ってきた。
その正体は矢が命中したサメで、水しぶきをあげ襲いかかってきた。
しかし、殿様の馬は名馬といわれたほどの駿馬。
殿様は必死で馬に鞭打って、サメをかわし、ようやく川を渡ることができた。

それから30kmほど北にある夏井川を渡ったとき、そのサメが先回りして、待ち構えていた。
波しぶきをあげて馬をめがけて迫ってきた。
この時もなんとか川を渡ったものの、愛馬はすっかり弱ってしまい、死んでしまった。
殿様は愛馬の死を悲しみ、平の塩地区に馬頭観世音を建て、馬の霊を祀った。
この後、殿様は無事国許の相馬に着くことができた。


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解説:

鮫川に伝わるサメ伝説は、鮫川の南方5kmほど、菊多浦の一角「松川磯」から始まり、鮫川から北へ30kmほど離れた夏井川で終わるという、かなり広域に及ぶものである。

伝説の冒頭に出てくる勿来海岸は、勿来市の発足を機に「勿来」の名を内外に広めようと改称されたもので、海水浴場名も昭和35年(1960)夏前までは松川磯海水浴場と呼ばれていた。

伝説は殿様が無事相馬に着いたところで終わっているものもあれば、なかにはサメの対応が後日談として、一方の傷を負ったサメは、その後松川磯に姿を見せることはなかったと追加されているものもある。
だだし、相馬藩の参勤交代の一行がこの浜辺を通るときには、必ずといっていいほど雨が降ったという。



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http://www.irasutoya.com/ より