いわき市 勿来地区 地域史

福島県 いわき市 勿来(なこそ)地区の、、、昔をたどります

★ ☆ ★ ☆ ★ 「いにしえ」 から 「未来」 への贈りもの ★ ☆ ★ ☆ ★

勿来は「なこそ」と読みます

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地縁による青年組織の解体 ① 組織の高揚と衰退を団体から離脱する青年層 ア 戦後における青年組織の変容 戦争継続を下支えした青年層は、敗戦というカタチで終わった戦争後、否応なしに何を拠り所にして戦後を生きればよいのか、という大きな命題と直面しなければならな ...

2 エネルギー政策の転換と石炭活用 (1) 常磐炭の活用方法を検討 ① 低品位炭を取り巻く環境 日本ではまとまって石油が採取できる油田と称される場所はなく、戦前からすでに戦争を継続するうえで大きな足かせとなった。石油の不足は戦後にあっても同じで、精製工場の設置 ...

(2) 生活スタイルを変えたテレビ① テレビの登場 昭和16年(1941)12月、日本放送協会(現NHK)平放送局は50wの出力でラジオ放送を開始した。昭和28年(1953)12月にはこの年6月に建設した平放送局舎から地元に密着したラジオ放送を開始した。ところが、音だけでなく映像を届 ...

むかし、路線バスの黄金時代があった!! 幻の鉄道計画 ② 国鉄バス(植田-磐城石川)の運行 時代は遡り、大正11年(1922)4月、原敬内閣は全国に鉄道網を確立させようと、改正鉄道敷設法を公布し、具体的に全国149項目(178路線)を公表し、このなかに「石川ヨリ植田ニ至ル鉄 ...

② 電信・電話の発達 第二次世界大戦下の電信・電話は、機密保持と人員・物資の不足のため、その利用が極度に制限され機能を失った。電信・電話に関する復興は昭和21年(1946)に逓信省が計画した通信復興三ケ年計画で方針が示された。このなかでは電話の復旧、電報、市外電 ...

(2) 災害を契機に進む、鮫川の河川改修 ① たび重なる水害に襲われる鮫川流域 山地の多い、しかも急峻な地形を流れる日本の河川は、いずれも急流となって狭い平野部に流れ海に注いでいる。これに台風、梅雨などの大雨をもたらす気象条件が加わると、水害は甚大なものとな ...

(1) 進む国道6号の整備① 幹線道路の整備といわき地方 ア 残された植田-湯本の国道整備 本格的な道路整備については、大正9年(1920)4月、「道路法」が施行(『いわき市勿来地区地域史2』148~150ページに記述)されたことに伴い、東京-仙台が第6号国道に指定された。整 ...

④ 茨城県へ配水した勿来町上水道勿来町では石炭産業の発達により人口が増え続け、これに伴う社会資本整備の一環として上水道の整備が望まれたが、戦時下、多額の資本投下ができず、町民は井戸水を利用せざるを得なかった。戦後、上水道整備の機運が高まり、昭和22年(1947)7 ...

地誌(昭和20年~現代)、東日本大震災、人物、地名目次CONTENTS          いわき市勿来地区地域史3                         -先人と未来人の絆を今に-彩色写真-「新旧写真」あるいは「定点写真」の世界 第2章 各地区の変遷(昭和20年 ...

⑤ 学校給食の推進 ア 学校給食の整備過程と模索 学校給食は昭和7年(1932)、恐慌後に貧困で欠食に苦しむ児童を救済するための学校給食に、国庫補助を入れたのが始まりで、昭和15年(1940)からは栄養不良や虚弱児童も対象となったが、戦時下、食糧難によりほとんど対応でき ...

② 石炭産業優遇策と勿来地区の炭鉱 ア 炭鉱への住宅優遇施策 勿来地区では、大日本炭礦㈱が国の指定炭鉱と位置づけられた。国が私有の炭鉱経営内容にまで踏み込み、管理しようとするもので、これが傾斜生産方式を円滑に展開させる基礎となった。具体策の一つは、不足 ...

日本経済の復興を担った石炭産業と勿来地区 1.石炭優遇政策の「傾斜生産方式」 ① 石炭の増産を梃子に鉄鋼などの生産を増強敗戦によって農林水産業および工業の生産は大きく落ち込んでいた。あらゆる物資が乏しく、それに反して物価は高騰し、インフレーションを引き起こ ...

昭和30年2月における合併協議の経緯昭和30年(1955)2月5日開会の「菊多方部五ケ町村合併促進研究協議会」(以下、「合併促進協議会」)第1回会議では5か町村関係者はともに前向きな姿勢を見せ、同2月12日開催の合併促進協議会第2回会議では、いよいよ新市名と市役所庁舎の設置場 ...

勿来小唄【初音ミク】作詞:北郷雪夫作曲:八木 伝「勿来小唄」〈1〉街は栄えるネ 工場はふえる 花の植田のあで姿(よいさ) ネオン七色あの娘の胸も(ホイ) 燃えて火となる発電所 (ササホイホイ発電所)〈2〉道もせに散る ゆかりの歌に 名どこ勿来の関の跡 花も名残り ...

厳しい行財政を強いられる合併後の勿来市財政再建団体指定下の市政運営と指定解除 ① 「昭和の大合併」を機に赤字の自治体が急増 シャウプ使節団の指導に基づき、昭和28年(1953)9月に3か年の時限立法となる「町村合併促進法」を公布されると、政府の合併促進策となる財政優 ...

自治警察署の設置「警察法」は昭和22年(1947)12月、警察の責務を、国民の生命、身体および財産の保護、犯罪の捜査などに限定して公布された。それまで警察に関しては「治安警察法」などに基づく国家警察制度であったが、非民主的な警察体制と指摘され、連合国軍総司令部(GH ...

炭鉱内から噴出する天然ガスの開発1 地下浅所に滞留するガスを有効活用 昭和24年(1949)9月、勿来町の窪田市街地南外れに「常磐天然瓦斯(有)勿来鑛業所」が発足し、翌年3月に石油および可燃性天然ガスの試掘権を得た。天然ガスの抽出技術が本格的に開発されていない頃のこと ...

高度経済成長時代の「三種の神器」① 生活思考・様式の変化を導いた所得増加 ア 政治体制の変化とは異なる生活変化 戦後、日本人が描いていた「未来」のうち、物質的な部分については昭和30年代に達成されたとみることができる。そして、戦後まもなくの頃は感じ得なかった ...

アメリカ軍がいわきへ、勿来へ連合国軍総司令部(GHQ)の末端組織・福島軍政部の部隊がいわき地方入りしたのは、昭和20年(1945)9月13日であった。鴨志田義康氏(大正10年生まれ)は『かぼちゃと防空ずきん』のなかで当時を回想している。 鴨志田義康氏の回想 「学校では終戦 ...

勿来市のネズミ駆除運動勿来市では、合併した昭和30年(1955)から毎年春季に市独自でネズミ捕りコンクールを開催した。昭和32年(1957)からは農業改良指導所の指導により、勿来市の農家2,615戸も野菜類を荒らす野ネズミの駆除を始めた。昭和35年(1960)1月から1か月間、福島県浜 ...

「ガラスのうさぎ」の“勿来のおばさん”と終戦直後の列車運行 昭和21年(1946)2月、寄留先の仙台付近、長町駅から14歳になる一人の少女が、常磐線に乗って上京した。彼女は昭和20年(1945)3月の東京大空襲で母と二人の妹を、さらに同年8月には疎開先の神奈川県においてアメ ...

自給塩の製造物資不足の慢性化、食糧難、産業の停滞が続く戦中・戦後にあって、唯一、盛んとなったのが塩の自給製造であった。塩の製造は、いわき地方の浜においても行われていたが、明治38年(1905)に塩の専売制(『いわき市勿来地区地域史2』87ページに記述)が敷かれ、一旦 ...

旧日本軍の奇策・風船爆弾の基地とは・・・勿来一中「昔ここに戦争があった」より 茨城県大津放球基地 衛星写真にも放球台が見える1.風船爆弾基地の設置背景 風船爆弾とは、手すき和紙をコンニャク糊(ゴムが不足するなか、コンニャクの成分である「マンナン」が酢酸 ...

「常磐」という名称の消長歴史の一滴 3-2 明治元年(1968)に陸奥国が分割されて磐城国が成立した。この名称は有名無実となっていくが、「磐城地方」という言葉は、漠然と現在の福島県いわき市あたりを指していた。一方、明治時代以降、この地方を支えた石炭産出分布は、常陸国 ...

地名に付けられる「丁目」歴史の一滴 3-5土地区画整理事業が実施され、道路に区割りされたブロック式の街並みが出現すると、地名に「◇◇丁目」と付けられるケースが多くなっている。福島県いわき市植田町本町・中央、佐糠町などで区割りされた「丁目」はいずれも土地区画整 ...

勿来小唄 伴奏作詞:北郷雪夫 作曲:八木 伝 「勿来音頭」と「勿来小唄」市制施行を記念して、昭和30年(1955)10月、勿来市勿来窪田町の金子彦太郎氏作詞、作曲・根本邦雄氏により「勿来音頭」が創られた。「勿来音頭」 〈1〉さくら吹雪の勿来の関に しのぶ昔の武者絵巻 ...

第3巻はじめに-第3巻の起点を戦争終結に求める背景本書である第3巻の起点を第二次世界大戦(太平洋戦争)終結とした。つまり便宜的に“戦前”=第2巻、“戦後”=第3巻というふうに区分したわけだ。かつては、このような区別がごく一般的であったが、昭和が終わり、平成の世 ...

歴史(昭和20年~現代)目次CONTENTS          いわき市勿来地区地域史3                         -先人と未来人の絆を今に-発刊のことば - 本書作成を支えた多くの方々に感謝発刊に寄せて - 地域史三部作を祝う彩色口絵 - 点描(てん ...

竹林の育成と効用洪水を少しでも減じるために、勿来地区大津集落付近を流れる川の沿岸には、江戸時代の天保年間(1830~44)から竹の植栽が行われていた。川辺を保護、表土の保全の為、水防目的として有効とされた。竹はしなやかで撓むことはあってもなかなか折れないことから ...

新産業都市の基礎を築いた石炭産業と水利歴史の一滴 2-7現在は外国からの安価な原料輸入や道路・港湾などの輸送体系の確立によって、それほど重要な立地条件とはなってないが、かつては工場立地にとって原料調達は大きな立地条件となっていた。したがって、安価な労働力調達 ...

歴史の一滴 2-6蛇行する鮫川の利活用と権利の摩擦現在は上流の高柴ダムに調節されながら、ほぼ直線で東流する鮫川であるが、かつては大きく蛇行して菊多平野を流れていた。江戸時代から明治時代にかけて、河川はもっぱら利水(四時堰など水利用を調整)の対象として考えら ...

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